「うつ病」という病名を聞いたとき「やっぱりかー」と思うと同時に、一つ昔の記憶がふと湧き出てきました。18のときに仲良くしていた友人の一人が、とても重いうつ病にかかっていて、私は彼女を見て「心が弱い人がなる病気なんだろうな」とどこかで思っていたんです。
実際自分にその病名を付けられたとき、それはすなわち「私=心が弱い人」というレッテルを自分で貼るということを意味していて。うつ病がこんなにしんどくて、意思の力とかそんなレベルではどうしようもない状態になるものだったなんて、微塵も想像していませんでした。偏見でレッテルをアッサリ貼りつけてその友人を色眼鏡で見ていたことに気付き、自分のことがほんとどうしようもなく情けなくて、「あんなひどいことを思ったから、バチが当たったんだろうな私…○○(友人)、ごめんね、あのときわかってあげられなくて」などと心療内科の帰りに思いしんみりしたりしていました。
そして、私はこの病名を当時の彼氏に告げました。といっても、相手が会いたいと言うときだけ会うような関係で、今思い返すと不倫みたいな関係性だなぁと思うんですけれど…当時の私はそれで良いと思っていて、彼に不満一つ漏らすことはありませんでした。
彼は私の状態がどんどん悪くなっているのをわかっていながらも、そんな私に特に何も言うことはありませんでした。そして病院で「うつ病」だと診断されたと言うと、開口一番「やっぱりね」とため息混じりに言い「お前甘えてるんだよ」と私に言い放ちました。
私はその言葉で頭が真っ白になって、何を言われているのかよくわからず、うつ病でずっと頭がボーっとしてましたが、さらにボーっとなり思考停止状態になりました。悔しいとか、悲しいとか、もっと私のこと理解してよ! とか、そういう感情が多分あったと思うんですが、うつ病ってそういう感情すら感じとることがかなり難しくなる病気で、私の心の奥の奥にその真っ黒い、嘆きの塊のようなものがあるようにも思えたんですが、そのとき私が選択した状態は「思考停止」でした。
そして帰宅後、何度も何度もその言葉を自分の頭で反芻していました。何度も何度も何度も何度も馬鹿みたいに同じシーンを繰り返し反芻していました。そして反芻しまくってやっと頭が動き出した時、私が出した答えは「なんかもう全部どうでもいいや…」でした。
彼は社会的地位も高く、私は彼が自慢できるような女性になりたかった。だからいつもカッコよく凛々しくかつ物わかりがよく自立している「できる女」「彼を一番理解している女」でありたいと思ってきました。彼の前でわがまま一つ言わず、愚痴ひとつこぼさず、借金で首が回らないのに(そして彼は私の借金なんて簡単に肩代わりできるぐらい稼いでいるのに)彼に何一つ相談することもなく、この案件は誰にも知られず自分一人でどうにか解決して、彼の前で立派な女でい続けると決めていたんです、私。
しかしその頑張りを維持し続けるパワーが「お前甘えてるんだよ」の一言で、もう全て無に還ったような感じで、なんかもう、ほんと、全部、どうでもいいわ、もう。となり、本格的に引きこもり生活に突入するようになります。(もともと引きこもり気味でしたけど、それがさらに酷くなりました)
しかし、ここから私の人生の流れが変わってくるのです。私はこのときから「頑張る」ことを放棄し出しました。うつ病中、ありがたいことに仕事をいただけて、自宅で仕事をさせていただいておりました。が、まーほとんど「仕事してるフリ」というか仕事してなかったです、あれは(苦笑) 基本的に食べてるか寝てるか、寝ながらゲームしてるか。これだけ。
最初のうちは罪悪感で死にそうでした。仕事をサボってずっと寝てるとか食ってるか、だけ。何も生産することなく消費するだけの人間。人間以下。ゴミでしょう、と本気で思っていたから。
でももう頑張るの無理、もう無理、ほんと無理、許して、もう頑張れない無理!! と思って。もうクズでいい、私ゴミでいいわ・・・と諦め、ひたすらそればっかりしていたら、いいのかわるいのか、次第に自分のやっていることに罪悪感が薄れていきました。
そしてなぜか私のうつ病の症状が劇的に改善しだす、ということが起きます。眠くて眠くて仕方なくて、起きているのが難しい状態だったのが、目が覚めている元気な日が多くなり、起きていても布団から出れなかったのに、起きたら椅子に座っていられるようにもなり…気分の落ち込みのアップダウンは相変わらずあるけど、寝たきりから完全に脱するようになったんです。
そして椅子に座れるようになってきてからは、暇つぶしにインターネットでいろいろと情報を読み漁るようになります。そのうちにスピリチュアルな分野のブログや情報ばかりを見るような生活になりました。スピリチュアルなブログは読んでると「心が救われる」ような気がしていたから、現実と向き合いたくなくて「ただ気持ちよくなりたくて」ひたすら読んでました。
精神世界について書かれているブログ、「イメージしたことが現実になる」とかそういう類の記事を見るようになりました。私はずっと成功哲学的な本は読んでいました。ナポレオンヒルの「思考は現実化する」とか、もちろん読んでましたし、とあるお金持ちが「ザ・シークレット」に書いてあるのは事実だ! あれは本当のことだ! と言っているのを聞いて、熱心に読んだりとかね。他にもいろいろ読んでました。これ系は。
「思考は現実化する」という言葉は知っていたし、イメージしたことが現実化する、という言葉も"耳たこ"でした。本やブログで「イメージをし続けたらそれが現実になる」と何度読んでも、当時はそうは思えませんでした。だって「借金返したい」ってずっと願い続けながら7年間もずっと借金返してるのに全然額減ってなかったんだから! (というか逆に増えてた)「聞いたことがある」だけで、実践したことはなかったんです。
しかし、スピリチュアルな記事でも、本当に思考は現実化するだのなんだの書きまくっているなぁ、と思い、一つあることを決めました。それが「借金を返し終わった自分をイメージしてみる」というもの。
はっきり言って、イメージしたものが現実化する、なんて、そんなことあるんだったら私のこのひどい現実は一体なんなんだ! 私はこんな現実なんかイメージしてないですけど? という気持ちが半端なく、この理論に反論する気満々でした。でも「借金を返し終わった日」をイメージすると気持ちがとても軽くなり、なによりすんごく幸せな気分になったんです。
とにかく幸せで気持ちがいいから、もう現実逃避な意味合いも込めて、毎日そのイメージをし続けて幸せに浸っていました。すると、現実が不思議な方向に変化していきます。臨時収入が増え出したんです。相変わらず仕事をサボってゲームするかネットでスピ情報見漁るかしかしてなかったのに、なぜか予想していない経路からお金が臨時で舞い込んでくることが頻発しだしたんです。ちなみに体調もどんどんよくなっていってました。
この現象が起き出したとき、最初は「ラッキー」としか思ってませんでしたが、その回数があまりにも多く、こんな偶然あるのか? と不審になるぐらいでした。そしてようやくだんだん認めていくようになりました。これは「私がイメージしたからそうなったのではないか?」と…
私は風俗もやって、うつ病も患って、死ぬほど頑張って働いていたのに、7年間全然返し終わらなかった借金を、ただボーっとサボって現実逃避ばっかりしている1年と少しの期間でアッサリ完済しました。
そして借金完済の日に味わったリアルな感情。それはあのときイメージし続けていたものとは少し違いました。もちろんすっきり気持ちいい!サイコー! な状態でしたが、根底にあったものは「返せて当然」という感覚でした。「借金一生返せないんじゃないか」と思っていた借金苦時代の自分とは真逆の自分になっていました。
この借金返済の体験から、私が親や学校、社会などで教えられてきた「常識」というものが「常識ではない」ということを痛感しました。そしてこの目に見えない「意識」という世界にものすごく重要な鍵がある、と確信。その謎を解きたくてしょうがない、という衝動にかられるようになりました。
ここから私の本格的な「意識世界」探究の旅が始まりました。