私の生まれは大阪府です。その後、父の転勤の関係で奈良→東京→大阪と移り住み、その後九州(鹿児島)へ。そして2022年、突然奈良に引っ越しました。これは、2021年のGW頃にインスピレーションがあり、それに従いあれよあれよと決まってしまったのです。
私の記憶だと子ども時代はとても「辛い」ものが多く…それはなんといいましょうか、重苦しくて自分を押さえ込まれるような感覚を日々感じていて、今思うと感受性が強かったことも原因になっていたのでしょうが、とにかく何をしていても辛くて…
この辛い現実から解き放たれる瞬間というのが「絵を描いているとき」と「宇宙のことを考えているとき」そして「目に見えない見えないエネルギーの世界のことを考えているとき」でした。
子どもの頃「『いやなこと』と『良いこと』というのは本当に半々に起こるのか」とか「『現在』の認識が変化するとなぜ『過去』の認識も同じように変化するのか」ということなどをずっと考えていました。
これは『意識』のことなんですが、当時は『意識』なんて言葉も意味も知りませんでしたから、自分の感じ取っている感覚を頼りに、それについてずっと考えていることが多かったです。とにかくこういう妄想ばかりしているような子どもでした。
母親からは「変な子」を連呼されて育ち、同級生からは(無愛想で何考えてるのかわからないから)「怖い」とよく言われ、周りの大人からも「愛想のない子」とよく言われ、かつ口調も非常に大人びていたので、大人受けは大変悪く、友達もできなかったです(笑)
自分の伝えたいことが誰に言っても伝わらず、10歳までは「孤独」というものを存分に味わった記憶があります。そして10歳を超えだすと、性格は相当ねじ曲がり、世の中を非常に冷めた目で捉えて生きていました。
この頃の夢は「30歳までにこの世を去りたい」でした。自分の人生に夢も希望も何もなく、ただ息を吸って吐いていきるこの人生に何の価値があるのか、とずっと疑問に思いながら青春時代を過ごしていました。
そして19のときに、私が生まれる前から糖尿病を患い、様々な合併症を引き起こして入退院を繰り返していた父が、この世を去りました。私は父と非常に性格が合わず(というか、似たもの同士だったからなんですが 笑)父が倒れた前日も、父と私は喧嘩しており、最終的に仲直りできぬまま父はこの世を去ってしまいました。
父は病気が重くなって目がほとんど見えない状態になっても会社に行き続けていました。(最終的に私が中学生の頃、母が泣いて会社へ行くのを止めて自主退職させました)
そんな父を見ながら「なぜこんなにひどい状態なのに会社に行き続けなければいけないのか。家族がいるから、稼がないといけないからか。じゃあうちに働かなくても良いぐらいお金があればお父さんは働かなくて済むのか?」と考えるようになり、父の最期を看取ってからは「お金を稼がないといけない」という思考回路になっていました。
その思いが引き寄せた結果なのか、私は21のときにネットワークビジネスに出会います。「これでお金を稼いで人生に安心を得なければならない」と躍起になって活動していました。しかし、私はこのビジネスで失敗します。結果、借金をしました。ずっと仲良くしていた友達とも疎遠になっていきました。
でも、私の「金を稼げる自分にならなきゃいけない」という執着は、自意識とプライドを存分に膨らました。「自分をいかによく見せるか」「いかに自分を素晴らしい人間だと思ってもらうか」にエネルギーを注ぐようになり、その自分を創るためにさらに借金を重ねていきました。最終的に普通に働いていても返せないほどの返済額になったときに、風俗の世界に足を踏み入れることになります。
当時は若さという武器があったので、風俗でいっぱい稼いですぐ借金を返してやめればいい、と思っていましたが、風俗の世界はそんなに甘いものではありませんでした。たしかに稼ぎは多いのですが、その分ストレスが半端なくて、その日稼いだ金をたいして欲しくないものに散財する、を繰り返し、お金は全然たまらず、借金は全然減らず、な状態でした。(というか、そもそも当時の私の思考回路は全てを見下し世の中を舐めくさっていたので、今思い返すと、風俗じゃなくても何の仕事やってもダメだったと思います)
風俗に入る前からか、もう記憶は定かではないのですが、その頃から私はちょっとおかしくなっていました。常に頭がボーっとしていて、何を食べてもおいしくなく、あまり何も感じないような状態。それが風俗に入ってさらに加速し、最終的にベッドから起き上がれない状態になります。仕事のない日は朝から晩までベッドに倒れ込み、夜遅くにやっとベッドから這い出し、何かを口にいれまた眠る、という生活を繰り返すようになっていました。
この頃はほとんど友人・知人に会うことはなかったのですが、たまに会うとびっくりした顔をされ「ちゃんとご飯食べてる? 急にやせすぎじゃない?」と言われていました。ベッドから出られなくなる生活が続き、その頃から私は基本的にずっと寝ていましたが、たまに起きているときはずっと「どうやってこの世を去るか」ということばかり考えていました。
しかし自殺ってね、エネルギーがないとできないんですね。ベッドから這い出す力もなかったので、実際にそれを実行に移す力がそもそもない。動かない体と働かない頭でただひたすらこの世を去る妄想ばかりに終始していました。不思議なもので、その妄想をしているときが一番「生きている」感覚があったんです。あの頃の私にとっては「この世を去ること」というのが唯一の希望だったように思います。
この時期は動くことがそもそも無理で、風俗もやめていたと思います。収入がないので、生活費は借金で賄っていました。この頃から私は人との交信をことごとく絶っていました。しかしあるとき実家の母が不審に思い、アポなしで私の住んでいたマンションにやってきました。私はチャイムが鳴っているのに反応できず、母は最終的に勝手に家に入ってきて(ドアの鍵は空いてたので笑)ベッドで生きた屍みたいになっている娘を見て、開口一番「家に帰っていらっしゃい!!」と叫ぶように言いました。
借金していることは母に絶対に知られたくなかったので、完済まで実家には帰らないと決めていました。でももうこの頃は人の声が聞こえているのに聞こえていないような、音が耳元でハウリングしているようで、とにかく何も考えられない。体も動かなくて自分が何を喋ってるのかもよくわからない。でもそんな状態であるという自覚すらありませんでした。
そんな中で青い顔して血相変えて私に帰ってこいと連呼する母を見て、「ああ私そんなにやばいのかな」と働かない頭でボーっと思い「わかった」と小さく返答したような記憶があります。
それから数日後、実家に帰り、相変わらず実家でも寝たきり生活を送っていました。一人で住んでいて寝たきりだと誰とも喋らないけど、実家には母や弟がいるので、いやがおうにも喋る機会があり…それがとても救いになったように思います。
なぜこんな状態になってしまったのかについては全然喋る気にはならなかった(というか、借金のことなどは墓まで持っていくつもりだった)けど、ご飯を食べたりテレビをみたりどうでもいいことでもポツリポツリと話せる時間が増えてくると、私の体調は少しずつ少しずつ回復していき、寝たきりで動けない、というような状態からは脱していきました。
そして体が少し動くようになったときに今までずっと避け続けてきた「病院にいく」ということを選択しました。(なぜ医者にかからなかったのかというと、医療費にあてるお金がなかったからです)
行ったのはもちろん心療内科。診断された病名は「うつ病」でした。